銀行経営とは 2017 9 10
書名 経済暴論 誰も言わなかった「社会とマネー」の奇怪な正体
著者 塚崎 広義 河出書房新社
著者は、この本のことを「経済暴論かもしれない」と謙遜しますが、
私は、正に正論であり、王道であると思っています。
たとえば、以下のような命題を経済学的に、
あるいは経営学的に考えてみましょう。
「金融庁は、2016年10年に発表した金融行政方針のなかで、
銀行に対して、担保や保証がなくても、
『将来性がある企業』、
『信用力は高くないが地域になくてはならない企業』などに、
積極的に融資するように促しました」
このような「試験問題」が、経済学部や経営学部の学生に出題されたら、
○か×か、どちらを解答するでしょうか。
仮に「○」をつけたら、落第でしょう。
もちろん、政治家に出題されたら、政治家は「○」をつけるべきでしょう。
要するに、この「試験問題」は、経済学と政治学が、
ごちゃ混ぜになっていて、決して学問的なものではありません。
さて、著者によれば、経済学から見れば、どこが間違っているか。
「信用力は高くないが地域になくてはならない企業」を支援するのは、
地方公共団体の仕事であって、
利益を追求しなければならない「民間企業である銀行」の仕事ではありません。
次に、担保や保証がなくても「将来性がある企業」を支援するのは、
投資家の仕事であって、銀行の仕事ではありません。
これは、経営学的に考えれば、明白でしょう。
借り手である新興企業が成長すれば、新興企業の利益は大幅に増えるでしょうが、
銀行の利益は増えません。
契約書に書いてある「約束したとおりの金利」がもらえるだけです。
一方、借り手である新興企業が倒産した場合は、
銀行は、貸出元本を失ってしまいます。
つまり、銀行にとって、
新興企業への融資は、「ハイリスク・ローリターン」です。
結局、「民間企業である銀行」に対して、
「ハイリスク・ローリターン」の融資を求めるのは間違いです。
もっとも、「銀行経営が苦しくなったら、
税金を投入して銀行を支援する」という「密約」があるならば、
このような「試験問題」は、政治学的に正しいかもしれません。
このように考えていくと、
「はたして、政治学とは、学問の範疇に入るのか」と疑問に思ってしまいます。
話がそれてしまいましたが、
世の中の出来事を「経済学」という視点で見ることは大事なことです。
私は、こう思っています。
法学部出身の人は、経済学的な思考ができない。
経済学部出身の人は、法律的な思考ができない。
だから、法学部と経済学部を同時に卒業することが必要である。
理科系に比べれば、文科系は「ヒマ」なので、
二つの学部を同時に卒業するのは負担ではない。
そう思って、著者の経歴を見てみたら、法学部出身でした。
だから、前書きで「経済暴論かもしれない」と謙遜したのかもしれません。
しかしながら、著者の経済学に対する造詣は深いものがあります。
おそらく、大学を卒業した後、経済学を深く学んだのだと思います。
著者は、慈愛が深いかもしれません。
金融庁に在籍する後輩に経済学を教えるために、
あえて筆を執ったのかもしれません。